大学院で国際保健について研究しています。

終わりました。

約2年間勤めていた病院を昨日退職しました。
6月に協力隊の試験を受けてから両立に悩むことも多かったですがそれでもなんとか仕事を続けることができました。
両立するのはとても大変だったけど、自分が決めたことなので仕方が無いし弱音は吐けない。
やりたいことがあるから仕事の手を抜くというのは絶対あってはならないと思っていました。

でもここまでやってこれたのは支えてくれた家族や病院スタッフのお陰です。

ここに来る前、
就職してすぐ配属された内科では糖尿病教育入院が中心でした。
患者さんの生活に合わせた指導をするのはとてもやりがいがありました。
ただ、患者さんはほとんど自立していて、ケアというケアはほとんどありませんでした。

採血も点滴も先生がしてくれたし、急変も全くなかったし、病棟で亡くなる方もいなかったです。
CVをとる時はICUまで送っていました。
ある日患者さんの状態が悪くなったことがあり、今患者さんの身に何が起こったのかよく理解ができなくて。
そんな自分が嫌で、協力隊に行ってもきっと何もできないな・・・と思い、

次の就職先では救急を希望しました。
私の病院の救命センターはER(救急室)もICU(集中治療室).HCU(ICUと病棟の中間).CCU(心臓の集中治療室)も全て含まれました。
そして毎日自分の受け持つユニットが変わります。
大学病院では全てが完全に別れていたからこれにはかなり驚きました。

配属され、まず分厚い冊子を渡されました。膨大なチェックリストでした。
チェックリストをこなすことで、自分が受け持てる範囲が広がります。
まずはICU一人受け持ちから始まりHCU→CCU→心臓外科→小児の挿管、ICU入室担当→救急外来
というように日々勉強を積み重ねステップアップです。

さらに驚いた事は新人や中途で入った人全員が1年間、受け持ち患者の関連図を書き、リーダーに関連図を用いて今日一日自分が何を考えどう動くか口頭で説明するということ。
4人受け持ちなら4枚しっかり書きます。長くても30分以内に。


今まで一台のシリンジポンプをつけてる人もほとんど居なかったのに、
6台もついている!使い方よくわからない。。。
わーー人工呼吸器なんて初めて見た!モードの意味わからない〜〜><
Aルートって何???><採血したことない!!血ガスデータどうやって見るの??
なんでモニターが鳴っているのかわからない!十二誘導とれない、心電図読めない。。。
透析って透析室でやるもんじゃないの???
え??CVここで入れちゃうの?? 気切ここでやるの??
IABPって何??PCPSって何??


無理や・・・ 軽くパニック。
配属一日目のオリエンテーションで完全にテンションが下がりました。

でも意を決してがんばろうと決め、新人と同じように一から始めました。

今では関連図を毎日書く事で、現在の全身状態と今後起こりうる状態をイメージして仕事に臨めるのかなと思います。
先輩からは常に最悪の状態を意識して仕事をしなさいとよく言われました。
なんとかなるではなく、なんとかならないことを想定することで、
緊急時に体がすぐ動くようになると。


毎日急変、急患が多い中、
このイメージ作りって救急の現場ではとても大切だなと思いました。
全身状態を毎時間見ながら、少しの変化を見逃さないこと。
少しでもおかしいなと思ったらそのままにしないこと。
見逃した時点で自分に責任がかかってくること。
ただチェックするだけでは意味がなくて、自分でアセスメントし、報告する。
変化を見流さないためには、やっぱり知識が必要で。

とにかく追いつきたくて解剖生理を一から勉強しました。
勉強してもしても足りなくて、
2年間、毎日が勉強でした。


時には関連図が合っていないとこの患者さんは受け持たせられないと言われ、すぐに受け持たせてもらえないこともありました。
現場が現場だけに厳しい言葉をかけられることも多くて泣きながら仕事をすることもありました。
本当に心折れそうな日々も多かったです。。。


でも、
先輩達は常に手を抜く事無く、プロ意識も高い方ばかりでした。
わからないことを聞いたら業務の後でも嫌な顔せず何時間でも教えて頂きました。
何もできない私に一から丁寧に育てて頂きました。

終わってみると、
そんな環境の中で看護を基礎を学ぶことができてとても嬉しく思います。


何事も続けることで見えてくる事はたくさんある。
これからもこの2年間の経験を生かしていこうと思います。
昨日先輩にできないことじゃなくて出来る事を一つでも見つけよう!と言われたので確かにそうだなって思いました。


一ヶ月、家族とともにゆっくり過ごし休養をとって、次に進みます!

最愛の兄が亡くなって早3年・・・。
もうこんなに泣く事がないだろうというくらい泣いた日々の中で、
兄にとっても夢だった協力隊の夢を私が絶対に叶えたい。
ずーっとその思いがあって、ようやくここまでこれました。
今でも毎日思い出すし忘れることはなくて。
兄の代わりにはなれないし、兄のように頭が良くないし、同じようにはできないと思うけど、
でも一緒にいつまでも生きていると信じているよ。
ソロモンまで気持ちは一緒に持って行きます!!



☆お世話になったスタッフと☆